早福荘日記

本陣復元なるか??

(2013年 2月 27日)

平戸城がある平戸市街地方面を北部。真ん中のあたりは中部。平戸島終点の宮の浦や早福方面は南部、と地区で呼ばれています。終点の宮の浦の手前、野子町に志々伎山(しじきさん)があります。日本書紀に記されている三韓出兵に従軍した十城別王を祭神とする10世紀に編集された「延喜式、神名帳」に記載され「式内社」とされ大変古く由緒ある神社です。古代における朝鮮半島との関わりと海上交通守護、国土防衛等の重要な役割にあったと考えられています。明治に入り廃寺令により役割を絶たれるまでの長い間、平戸から終点の志々伎神社まで殿様がお参りの際に宿泊した古田本陣があった津吉町の今は竹藪になっている敷地を復元し南部の観光ルートに組み込もう、と立ち上がった有志が平戸市に提案し土地の整備を2月に始めました。跡取りだった方は本陣跡宅を取り壊し現在佐世保市に移住。昨年亡くなり娘さんがおります。そのお宅には殿様が下さった書や書物が保存されています。しかし昔を知るお母様が亡くなり記憶が風化、お宝をほとんど処分しているので復元にあたりしばらくは時間がかかると予想されますが本陣が復元されたらなあ。と期待を寄せています。現在、志々伎山はトレッキングで人気の山になっています。

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