長崎平和推進協会の原爆写真を長年に渡り収集し今も渡米されて努めていらっしゃる深堀さんにお話を聞く機会を頂きました。深堀さんは浦上の爆心地から300Mの場所で被爆。ご本人は無事でしたが当時16歳のお姉さんは8月9日に被爆で亡くなりました。弟さんは後に原爆症が出て長い間、苦しんだということです。その日、怪我も無く元気な友人たちと「無事でよかった」と喜びあったが、中には間もなく原爆症が出て、今まで元気だったのが高熱、湿疹が出て、急死した方がたくさんいたそうです。被爆直後は誰も「原爆症、放射線被ばくを知らなかったので原爆の毒ガスで死んだ」と言われたそうです。放射線による被ばくは「臭いも無く、目にも見えないので、怖いんです」とおっしゃっていました。語り部の末永さんにはさるくガイドをして頂いたりいつもお世話になっておりまして、今回もお会いすることが出来、感謝でした。末永さんは4月27日からの核拡散防止条約(NPT)再検討会議に渡米します。被爆者の方々は一生を「核無き世界」の為に尽力しています。引き継ぎたい思いを新たにしました。 |