早福荘日記

3/11から8年

(2019年 3月 11日)

あの日、私は朝からテレビを全く見てなかった。3時過ぎにお隣さんが、雪ちゃんの古里が大変な事になってるけど、大丈夫?私は、えっ?何かあったの?大きな地震が、岩手や青森や東北が凄い事になってるよ。姉が住んでる岩手県山田町は三陸海岸沿い、毎年、地震が起きる、その度に電話する、もう慣れてしまってる感じ、だから、また地震?でも大丈夫でしょって。直ぐに電話は通じないからね。テレビを付けたら、黒い波が車、田んぼ、家を飲み込んで行く、嘘?何?これは?えっ?パニックになった、姉の住む山田町は宮古の近く。山田町も津波、火事の映像、連日、新聞に山田町、壊滅状態、旦那は血圧計が測定不能、私も災害伝言板や新聞社に問い合わせたり、5日目に別な姉から、生きてた!電話があった、家も大丈夫、みんな大丈夫、って。知り合い、近所さんに報告、当時を思い出しました。当時を記憶に留める為に書いた詩作を改めて載せておきます。生きててくれたから、今の元気な私が居ます。

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